キカの悲しい夢

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怒りをぶつける先が 物しかないと気が付いた時、わたしは惨めだと思った。

 

私は怒りが発露することが滅多にない動物であった。つい最近までの話。

小学生の頃、生まれる前からきっと怒りの感情を与えられず生を受けたのだなと勝手に思い込んでいた。怒りという感情に鈍感すぎて一時期声を失ったことさえあったのに。

こう見えて言われたことはなんでも従っていた。成長の遅れを感じていたこともあり、みんなと足並みを揃えないとと焦りを感じていた。周りに認められるためには同じ土俵に立てないと意味がないなんて考えながら。そういう性格が長くは続かず、中学生の時に少々グレ始めた。言われたことをきっちりとキツいバドミントン部でこなしてはいたが、きつすぎるあまりヘコタレてわざと怪我をして部活動を見学ないし休んだり 用事があるといい寄り道をして、歩道橋から大通りを通る車の光の帯や、いそいそと公園に向かう小学生の群れ、すし詰めの電車を眺めたものだった。サボりぐせは高校まで引きずり、平日午前 珈琲店でミルクとガムシロップを二つずつとブレンドコーヒーを盆に乗せて二階のよく景色が見えるカウンター席で読書をしたり詩を書いたりした。そして私は従っていた性格から一変、反抗的な態度をとる動物になった。反抗心とは暴力的なもので、同時にわたしのなかのふつふつと燃える邪悪な何かを覚醒させた。怒りが生を受けた時期、怒ることにも慣れず、怒りを人にぶつけてもなと思い性格の悪いわたしは街路樹や他人の家の塀ブロッグを殴りつけたものだった。傷を見るとよく怒りやその時の匂いや記憶が鮮明に蘇るものでどうしようもなく落ち込む。冷静になったわたしは怒っていた自分に失望する。怒りはストレスの圧力とイコールだ。怒りを鎮める行為は、ガス抜きだ。自分を深く傷つけることでしかガス抜きができないくらい自分は不器用であった。それはとても不幸だ。周りを不幸にしてしまったことも少なからず四回程あった。数えきれないが。自分は傷ついていいと思っていたが、傷ついているわたしを見た人にも心の傷を負わせてしまった。自分を傷つける行為を控えるようになった今、近くにあるものを地面に叩きつける、足のつま先で地面を強く鳴らす。わたしの惨めな姿。誰にも見せることはない。